桜に心震う。

これこそ正にカルチャーショック

「美術」や「絵画」「彫刻」という言葉が、実は明治期につくられた言葉だということをご存知でしょうか。

美術館や美術展がきわめて身近なものとなった今日、「美術」という言葉はあまりにも平凡な日常用語として定着しているので、実はそれが明治期になってから生まれた造語であるという事実はほとんど忘れられてしまっている。例えば、江戸時代には「美術」はなかったと言われれば、誰しも意外な思いをさせられるであろう。

高階秀爾『西洋の眼 日本の眼』pp264より引用

ちなみに、お正月の初詣も明治期に創りだされたものだそう。※1

(さらに付け加えると、「建築」もです。)

私たちが「文化的伝統」だと信じている、というより無意識に何の気なくそうだと思っているものは、想像より多く、日本の近代化による産物なのかもしれません。

 背景を至極簡単に書いていきます。日本は江戸期の長期鎖国によって他に類を見ないガラパゴス状態となり、さまざまな文化(現代人のわれわれから見た場合ということになりますが、便宜上この表現を用いております。)が生まれ、独自の生態系を形成しますが、その後ご存知の通りいろいろあって長く続いた鎖国を終え、開国します。その際、西欧諸国と肩を並べるために急激な「西欧化」に取り組みます。しかし、ほどなくして(明治十年代後半ごろから)自己のアイデンティティをはっきり示すために、「西欧化」一辺倒から「近代化」を目指します。

美術界において明治十年代の後半から急速に顕著になって来るいわゆる「伝統復帰」ないしは「国粋主義的」と言われる動きも、むろん同じ背景のなかで捉えられるべきである。すなわちそれらは、しばしばそう考えられているように、西欧化に対する「反動」や単なる「復古趣味」ではなく、むしろ逆に「近代化」「西欧化」のひとつの表れであった。「伝統の創出」は、近代国家形成の重要なプログラムのひとつだったのである。

 高階秀爾『西洋の眼 日本の眼』pp269-270より引用

言い換えると、私たちは「近代化」する(意地悪く書くと、最低でも「近代化」していると見せかける)ために「伝統」を創りだす必要があったということです。

しかし、「伝統の創出」は近代、つまり明治期以降のみに限ったことではなく、多くの日本文化論において、ある時代特有の美的概念を日本文化全体の「伝統」と見なす向きもある※2 らしいのです。つまり「わび」「さび」「もののあはれ」「いき」のような日本人としての美的概念も日本の歴史全体に通じる伝統的な通念ではなく、ある時代の特有の価値観であったものを「伝統」として創りだしたと考えられる、と言うことです。

「近代化」のため、西欧諸国と肩を並べるため、大きく言えば政治的外交政策の一環として「伝統の創出」を行ってきたと私は理解していましたが、近代以前にも同様のことが行われていたとなればこの理解は正しくありません。なぜなら、近代のためと言う前提条件がなくなってしまうのですから。

日本人は文化や美的概念をきちんと積み重ねてないんだ!やっぱり!※3ととてもショックを受けました。

 

この気持ちはどこからくるのでしょう。

我が家のベランダから、命短しと咲き誇る桜が見えます。美しいです。

この美しさが「わび」だか「さび」だか「もののあはれ」だか「いき」だか、私には分かりませんが、その美しさに心が少し震う気もします。

これが、たかだか170年くらい前に急ごしらえで創りだされた「伝統」としての美意識や、ましてや後天的に刷り込まれた価値観によるものだとは私には思えません。

名前を付け難いこの気持ちはいったいどこからくるのでしょう。

 

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※1高木博志『近代天皇制の文化史的研究』で実証的に論じられているようです。筆者は、例により高階秀爾『西洋の眼 日本の眼』から孫引きしております。

※2笠井昌昭『日本の文化』では古代から近世までの日本の美意識の展開を辿って、その内容を分析しているようです。また 高階秀爾『西洋の眼 日本の眼』から孫引きです。

※3椹木野衣『日本・現代・美術』でいうところの「悪い場」としての日本に対する「やっぱり!」です。

 

西洋の眼 日本の眼

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近代天皇制の文化史的研究―天皇就任儀礼・年中行事・文化財 (歴史科学叢書)

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日本の文化

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日本・現代・美術

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