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結婚ってなんだろうー字面の結婚、みんなの結婚

 今月のはじめ、高専時代からの友人の結婚式に参列してきました。友人は元々かなり顔は整ってる方ですが、花嫁姿は特別美しかったです。その美しさに触発されてか、改めて「結婚」について考えてみたくなりました。

 好きな人と一緒に生活すること?

 新しい家庭をつくること?

 ふたつの親族を結びつけること?

 誰かと同じ名字になること?

 「結婚」って何なんだろう。

字面の結婚

 まず、「結婚」の定義というか、意味を確認してみました。

結婚=夫婦になること。配偶関係を約束すること。

夫婦=婚姻関係にある男女の一組みのこと

婚姻=社会的に承認された夫と妻のこと。配偶関係の状態。

 ※wikipediaと百科事典、国語辞典を参照

 結婚という配偶の約束を交わした男女が社会的に承認されると夫婦になり、その約束が継続されている状態を婚姻というようです。ちなみに、婚姻意思がない場合その婚姻は無効となります。その婚姻意思とは、通説では、届出をする意思をもつととも社会通念に従って夫婦と認められる生活共同体を創設しようとする意思のことだそうです。

 整理すると、①男女の一組が、②届け出をすること、社会通念に従って夫婦と認められる生活共同体を創設しようとする意思を確認したあとに、③結婚という(=その約束が無効になるまで寄り添い合う)約束して④社会的に承認される(=実際に届け出る)と夫婦となり、その夫婦間にその約束が継続されている状態を婚姻ということのようです。

 今回は「配偶関係」、「社会的承認」、「生活共同体」の3つキーワードからさらに結婚について考えてみます。

「配偶関係」

 配偶とは寄り添うという意味ですから、単純に書くと「配偶関係」は「寄り添う関係」という意味になります。そういえば一昔前までは「添い遂げる」が「結婚」の対となる言葉でしたね*1

 もともと、死が二人を分つときまで継続されることを前提とした約束だったのかもしれませんが、私はそれになじみません。結婚後の選択肢として「離婚」はいつも結婚生活の中にあり、添い遂げることは結果でしか示せないと私は考えているからです。

 日本の既婚女性の内の約40%の人が性格の不一致による離婚に対して理解を示しています*2そして、結婚をした全体の35%の人が離婚をしています*3つまり、今日の日本において離婚は特別な異常事態ではないし、添い遂げることは結婚の絶対事項ではなくなりつつあるともいえます。 

「社会的承認」 

 日本に住む人にとって一番分かりやすい結婚における社会的承認は、やはり届け出をすることだと思います。よく「紙ぺら一枚で」なんて表現がつかわれますが、確かに「社会的承認」なんて仰々しいものが「紙ぺら一枚で」得られるなんて、ね。

 届け出をしない婚姻として事実婚があります。当人の見解・判断によって届け出をしない婚姻のことです*4双方に婚姻の意思があり、夫婦らしくしていれば成立するようです。つまり、この場合、社会的承認の担保は社会に対して一般的なの夫婦像に近しい形で存在することだと考えられます。

 届け出しようがしまいが社会的承認は得られるじゃん!とツッこめる点からも、結婚の意味としての「社会的承認」には曖昧でほとんど意味がないといってしまえるのではないでしょうか。字面の「社会的承認」には、けっきょく紙ペラという意味しかないように私には思えます。

「生活共同体」

 結婚=家族になるというイメージをつくっているのはこの要素でしょう。「共同体」とは、何らか(血縁、地縁、友情など)によって深く結びついた人々の集まりのことです。この場合は、結婚という約束によって結びつき、生活をともに運営する人々の集まりのことだといえます。「社会通念に従って夫婦と認められる」という枕詞を加味すると、多くの日本で育った人々が思い描く夫婦像の形式で生活を営むことも前提的に求められます。

 先の配偶関係の節と多少重複する感じもありますが、配偶関係が純粋に寄り添うという意味であるのに対して、こちらは「組織」が強く感じられます。

 以上3つのキーワードから、字面の結婚は、システムとしての社会の中で機能する小さな社会組織で、その創設は男女がお互いに寄り添う意思によるということが分かりました。しかし、これでは普段日常的に何となくイメージする結婚とはどことなく違うような気がします。

恋愛の延長線上にある結婚

 まず、字面の結婚に比べると、私たちが日常的に使う結婚は恋愛の延長線上にあるというイメージが先行していると思います。2010年時点の恋愛結婚の割合は88%(お見合い結婚 5.2%)で、多くの人が恋愛期間を経て結婚をしています。恋愛結婚の割合がお見合い結婚の割合を上回ったのは1970年ごろで1980年ごろにはすでに全体の70%の方々が恋愛結婚をしていますから*5、ここ約35年間は恋愛結婚が主流だといえます。「結婚と恋愛は別」などという格言(?)が成立するのも、結婚と恋愛が同じ、もう少し丁寧にいうと延長線上にある同種のものという考えが前提的にあると一般的に認められていることを示しています。

 そして、それゆえにその状況は結婚に、恋愛がもつ多様性や流動的な側面をカバーすることを求めています。婚姻を望む同性同士の恋人たちもその一例だといえるでしょう。現代日本において恋愛の自由さは広く認められつつあります。そして、それにともなって結婚にもそれに応じる自由度を求めているように感じられます。しかし、「結婚」を規定し、結婚しているかしていないかで区別するために設けられた制度としての字面の結婚は当然それら全てを許すことができないという状況にあるように私には見受けられます。

 こうした字面の結婚に求められる自由度に対して、字面の結婚は柔軟に対応するべきなのでしょうか。それとも、字面の結婚が設定している条件に該当しない人々は少なくとも字面の結婚はあきらめるべきなのでしょうか。 

私とあの人の結びつきを、それ以外の人たちに、何と呼ばせたいか

 以上のことから、字面の結婚と先に書いた結婚のイメージには違和があると私は考えています。そして、この違和はできるだけ早く、でも慎重に解消された方がいいだろうなと思っています。その違和にむやみに傷つくだろう人たちがいるのはあまり良い状況ではないなと思っているからです。

 しかし、結婚が社会という大きなシステムの中に位置づけられている制度でもあるという性質上、移ろいやすい世の中から絶え間なく生み出される多様性や止めどない流動性すべて受け入れる必要はないとも思ってます。それより、結婚というものの意味や意義を理解した上で、それを利用するかどうかを判断することが当然になることの方が先決だろうと思います。そして、それが多くの人にとってあわないのであれば、先日の夫婦別性を求める違憲裁判のように字面の結婚を変えるように働きかければいいし、もっといえば結婚以外の何か別のかたちを創りだせばいいのだと思うのです。 

 誰かと誰かの結びつきが通り一辺倒ではないし、ましてや、そこに正しいか正しくないかなどという判断はありえません。私たちは誰かとの結びつきを失うことはできないし、そしてそれを覆う社会からは逃れられません。だから、その結びつきを社会になんと呼ばせたいのか、それは「結婚」でなくては絶対にいけないのか、この点について各々が出した結論に、字面の結婚が「寄り添う」ことができるようになればいいなと思っています。

*1:新宿二丁目のほがらかな人々。愛し続けるということ。その9結婚できたら、するのかな? https://www.1101.com/2_chome/2004-06-29.html 

*2:第13回出生動向基本調査

*3:平成26年人口動態統計

*4:本筋ではこの点を無視して論を進めておりますが、事実婚は先に書いた婚姻の意味の②にそもそも当てはまりません。概して②は通説であるから、絶対じゃないのでしょうか。

*5:第13回出生動向基本調査