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2016年、何となく、ぼんやり、「歴史」の話

 遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

 本年もどうぞよろしくお願いします。

 

「日本」という国の名前はいつ決まったのでしょう? 

 さて、今日日本の伝統行事だとされているお正月の「初詣」は、明治時代に習慣化され、その言葉がうまれました*1そして、現在私たちが当たり前のように日常的につかっている「美術」「建築」などのさまざまな日本語も明治時代につくられました*2

 では、「日本」という国の名前はいつ決まったのでしょう。

 

 一九九◯年末ごろ時点の大方の学者の認めるところでは、六八九年とされています。

日本という国名が決まったのはいつなのかといいますと、(中略)浄御原令(きよみはらりよう)という法令が施行された六八九年とされています。(中略)対外的には、大宝律令が制定された七◯一年の翌年、中国大陸に到着した遣唐使の粟田真人(あわたのまひと)が当時の周の皇帝・則天武后に対して、「日本」の使いであると述べたのが最初といわれており、(中略)それまでは「倭(わ)王」の使いであるといっていたのが、七◯二年に変ったのです。(中略)そのことから、「日本」という国号が公式に決まったのはそれ以前ということになり、六八九年の浄御原令施行の時が最も可能性が高いと考えられています。(括弧内注釈省略)

 

網野善彦『歴史を考えるヒント』(新潮社、二◯◯一年)一五〜一六頁

 

 みなさん、ご存知でしたか。

私はこの本を読むまでまったく知りませんでした。それどころか「日本」という国の名前がいつできたかについて考えたことすらありませんでした。

実際、著者の網野先生が本をお書きになった一九九七年ごろまでのほとんどの教科書にはそれついての掲載はなく、網野先生ご自身も学生に教えていなかったようです。

 「日本」という自国の国名ですら、何となくぼんやりと使い続けている日本人ですから、当然その他の言葉も何となくぼんやりと使い続けていることは想像に難くありません。言葉がぼんやりしているということは、場合によってはその本質的な概念・意味もぼんやりした状態だと考えられます。さらにいうと、それそのこと自体、つまり、ぼんやりと使い続けていること自体に対しても何となくぼんやりと無自覚なのではないでしょうか。しかし、努めてフラットに歴史をみなおしてみると、このこと自体に大きな意味があるようにも思えてきます。

 

 何となく、ぼんやり、なのは誰のせいでもない(かもしれない)

 丸山真男が、日本思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか、ということについて以下のように書いています。

各時代にわたって個別的には深い哲学的思索もあるし、また往々皮相に理解されているほど独創的な思想家がいないわけでもない。けれども、(中略)日本史を通じて思想の全体構造としての発展をとらえようとすると、だれでも容易に手がつかない所以は、研究の立ち遅れとか、研究方法の問題をこえて、対象そのものにふかく根ざした性質にあるのではなかろうか。たとえば各々の時代の文化や生活様式にとけこんだいろいろな観念(中略)同時代の他の諸観念とどんな構造連関をもち、それが次の時代にどう内的に変容してゆくかという問題になると、ますますはっきりしなくなる。

 

丸山真男『日本の思想』(岩波書店、一九六一年)四頁

 日本思想史においては、それぞれの領域ごとには深く研究もされ、独創的な研究者もいるが、その歴史全体の構造やその発展を明らかにしている研究者は誰もいない、そして、その原因は日本の思想そのものの性質にあるのではないか、と丸山真男はいっています。 

 私も、先に問題提起しました何となくぼんやりと言葉をつかっていることにすら何となくぼんやり無自覚な状態に対しても同じことがいえるのではないか、と考えました。急激な欧化・近代化の過程で伝統を失ったからとか、敗戦したからとか、そういった日本史的な分岐点の背景をこえて、日本の言葉やその概念・意味(ひろくとって文化といってもいいかもしれません)自体の問題で、この状態を引き起こしているのではないか、と。  

 現時点では単なる私のイメージに過ぎず、ものすごく抽象的な表現になってしまい恐縮ですが、日本には何かが企てられたときに、その中身を空(から)にしまま枠組みというか型枠というか、そういった側(がわ)だけを永続的に継承することができるようなプログラムが自然発生的に機能する風土があるのかもしれません。

 ちなみに、中心部に空(くう)をつくることは目的をもった工夫であることが多いです。時計のGショックの場合は、時計の機構をケースの中で浮かせることで耐衝撃化しています(その名も中空ケース!)し、スカイツリーの場合は中央部の心柱をその外周部とは分離させてその間に空(くう)をいれることで、地震や風によるゆれを制御して自らを守ります。ですから、もしかしたら私たちが意識できていないレベルでの日本の真理もその中空の中心にあるのかもしれません。まぁ、本当になにもない空っぽの可能性もありますが*3

 

 人生は短いけど、「歴史」は長いから、焦らず淡々と

 今後私は、以上のようなアイディアで日本の、そして日本人の中空的な性質について美術批評史をとおして確かめてみたいと思っています。どうして美術批評なのかといいますと、実のところピンときたとしかいいようがありませんが、おそらくこれまでの私の脳の歴史において今ひとつ向きあいきれなかった名残(なごり)が美術批評、あるいは美術、批評それぞれにあり、そうした思い出が突如として、私が現在もっているアイディアの前にあらわれたともいえるのかもしれません*4近い将来、この問いについてはきちんと考えなくてはならないと思いますし、個人史としても考えてみたいと思っています。 

 歴史には、はっきりしないぼんやりしたところがまだまだたくさんありますから、その端をひとつひとつ紐解き、明らかにする必要があると私は思っています。しかし、その意味や価値を、誰にも伝わるように正当的に説く術を未熟な私は残念ながら持ちません。ですから今はただ、静かに淡々と机に向かおうと思います。

 

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

歴史を考えるヒント (新潮文庫)

 

 

日本の思想 (岩波新書)

日本の思想 (岩波新書)

 

 

【参考文献】

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

 

 

*1:Wikipedia参照 初詣 - Wikipedia

*2:但し、「初詣」は「年籠り」が転じたものですが、「美術」「建築」などは"art""architecture"の翻訳語として新たにつくられた日本語であるため、その点で性質はことなります。

*3:現時点では、私は後者ではないかと考えています

*4:小林秀雄が歴史についていうところの「思い出」を少し意識しています。