第一回 美術批評を知っていますか

 プロフィールにもありますように私は来年度、2016年度から歴史を学ぶ予定です。今のところ美術批評史について以前書いたようなことを研究したいと考えています。その入学試験にはそのテーマに関する12,000字程度の論文を提出しました。そこで、今回から以降6回にわたってその内容について書きたいと思います。

 第一回 美術批評を知っていますか *1

 今日、「美術批評」は私たちの生活の中にあふれていてとても身近なものだといえます。日本(というか東京)は美術展大国*2で、そこではそれらの展示作品が創作された当時と現在の両方の評価や批評が簡単ではありますが丁寧に紹介されています。つまり、私たちは作品を観るときにその作品に関する情報のひとつとしてその作品が受けた評価や批評も受けとることになります。そして、実際に美術作品を観る機会以外にもテレビやラジオからも美術作品が受けた評価や批評をたくさん受けとっています。さらに現代ではインターネットを使えばいくらでもそれらの情報を得ることができますし、それどころか自分の美術批評を発表することすら可能です。したがって、少し極端にいえばそれそのものとしての実体から切り離すことのできない芸術が多いことに比べると基本的に美術批評は言説ですから、芸術よりも美術批評のほうが圧倒的に私たちは受けとりやすく身近であるともいえます。しかし多くの人は「美術批評」という言葉にたいして「えー、何それ。何か難しそう。」に近いリアクションをとります。それはその言葉のもつ小難しそうな響きがそうさせるのでしょうか。

 「美術批評」という言葉は明治初年に「美術」と「批評」が英語の翻訳語としてそれぞれ"art"→「美術」・"critique"→「批評」とうまれた後にそれらをあわせてつくった複合語です。「美術」という言葉のもつふわっとした抽象性と「批評」という言葉のもつ難しそうな雰囲気が「美術批評」を何となく小難しそうだと印象付けているのかもしれないことは想像できます。イメージですらそのような感じですからずばり「美術批評とは何か」ということについては多くの人がお手上げ状態ではないでしょうか。

 実際、今日の大学の先生などをはじめとする学者らのレベルでも美術批評の研究は十分だとはいえない状況です。美術批評の定義も曖昧です。その歴史についても十分に分析・考察されているとはいえず、明らかになっていないことのほうが多いです。しかしその状況から逆に考えると「美術批評」はほぼほとんどその歴史すら明らかにされていないのに私たちは自然に何となくその様子をつかみとることができているともいえるのです。どうしてそんなことになっているのでしょうか。

 言い換えると、私たちは突然外国からやってきたアイディアにそれらしい名前をつけただけでその根本にまつわる探求をせずに150年弱ものあいだそれを運用し続けています。その運用の過程でそのアイディアは変化してきたであろうことは想像に難くありません。したがって、その過程のなかで起こった変化はオリジナルとは異なる日本オリジナルだということができます。その日本オリジナルの部分を明らかにすることは日本とはどのような風土の国であるのか、日本人とはどのような人間なのかを知ることに繋がっているのだと私は考えています。 

いまさら「絵画」とは「工芸」とはなんだと言ったところで、だから何だと言われると、困る。未来を考えるためですと言っても、それはこれからの話で、今にいたる足あとを確認しただけのことだ。でもそれは、親の顔を知らないで育った人が、どうしても親を捜したいというものと同じではないのか。そこからその人の”これから”が始まるのだ。

佐藤道信『<日本美術>誕生ー近代日本の「ことば」と戦略』(講談社 一九九六年)二三七頁 

 私たちが今「何となく、こんな感じね」と日常的に運用している当たり前のものや伝統的なものの背景や起源を見つめ直し明らかにすることは、佐藤先生の言葉をお借りすると私たち自身の親を捜しにいくことだといえます。そしてそれらを明らかにすることで真に私たちが何者であるかを知ることができ、そしてそこからやっと自分がその先どう生きていくのかということに迫れるのではないでしょうか。

 今日(特に日本では)あらゆる場面で自分の考え方のオリジナルが見えづらくなっているように思います。諸外国に比べ宗教や民族、言語に関して価値相対主義が強固に根付く日本ではそれらにまつわる歴史的な背景や功罪について差し迫って識る必要が日常にはないことが理由の一つだと考えられます。また、身体的な危機から遠い世界という意味での平和がここ数十年続いていることも理由の一つだと考えられます。日本は(先の引用でいうところの)親を知らなくてもそれなりに楽しく、幸せに暮らせる環境だということです。しかし、平和な今だからこそ、どこにも依存することなく誰の目を気にすることなく親を捜しにいく時機なのだと私は思います。私たちにまつわるありとあらゆるものの起源と今日(きょう)までの道のりを確かめたいと私は強く思うのです。

 こうした問題意識の上に今後の連載を試みたいと思います。特に美術批評はその時代や地域によって大きく左右されるます。したがって、それらを明らかにすることは今私たちが持っている考え方のオリジナルを知ることに通じると私は考えています。

 といっても、明治から今日の美術批評の歴史全てについて語り、分析し、考察するなどという大それたことは現在の私には不可能ですので、この連載では主に明治時代を対象としその時期におこった美術批評史上の大きなできごとを中心に考察していきます。具体的には、第二回にはアーネスト・フェノロサの活動を、第三回には外山正一と森鴎外の論争を、第四回には美術批評の書き手の多様化について、第五回には文部省美術展覧会(文展)の開催から、明治期の日本人が「美術批評」をどのように受け取っていたのかについて書く予定です。

 長くなりますが今後も引き続き読んでいただけるとうれしいです。

 

〈日本美術〉誕生 (講談社選書メチエ)

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ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

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*1:敬愛する阿刀田高先生の知っていますかシリーズをまねしました。実際のタイトルは「日本人はいつ美術批評を認識したか」です。

*2:日本人は世界一博物館、美術館で催される美術展覧会に行く国民といえるようです。その手の話になると「それなのに、、、」という皮肉もほぼ必ず書かれますが。世界一展覧会に行く国民、日本人!?~日本独自の鑑賞スタイル<その1> | arts marketing